「シルエットロマンス」や「たそがれマイラブ」など、数々の名曲を歌い、
多くの人の心を魅了した大橋純子さん。
その圧倒的な歌唱力はよく知られていますが、長年そばで支え続けた夫・佐藤健さんや
おふたりの愛の形については意外と知られていません。
この記事では、大橋純子さんの夫・佐藤健さんとの出会い、
事実婚を選んだ理由、子どもがいなかった背景、そして最後まで支え合った夫婦の絆
について詳しくご紹介します。
どうぞ最後までお読みいただけたら嬉しいです。
大橋純子の夫・佐藤健とはどんな人?
大橋純子さんのパートナーは、作曲家であり、歌手としても活動していた佐藤健さんです。
*俳優の同姓同名の方とは別人です。
お二人が出会ったのは、ヤマハ音楽振興会で大橋純子さんがアルバイトをしていた頃でした。
音楽という共通の志を持つ二人は自然に惹かれ合い、人生を共に歩むようになります。
佐藤健さんは、音楽活動の面だけでなく、大橋純子さんにとって最も信頼できる
理解者でもありました。
売れない時代も、華やかな成功を収めた後も変わることなく寄り添い続けた存在だったのです。
二人はなぜ結婚せず事実婚を選んだの?
長年連れ添ったお二人ですが、正式な婚姻届は提出していませんでした。
いわゆる「事実婚」という形で、人生を共に歩んでいたのです。
その背景には、大橋純子さんが音楽留学から帰国した頃の出来事が深く関係しています。
約2年の音楽留学を終えて帰国した大橋純子さん。
しかし、日本では留学前に盛り上がっていたバンドブームが落ち着いており、
自分の居場所を失ったような気持ちになったといいます。
将来への不安から大橋純子さんは佐藤健さんに「入籍して主婦になる」と相談しました。
しかし「逃げの入籍は良くない」と佐藤健さんに否定されたのです。
大橋純子さんはそのまま籍を入れず生活を続けたため事実婚となったようです。
大橋純子さんは雑誌のインタビューで
私も隠すつもりはなかったんですけど、レコード会社のほうで、どうせなら独身(シングル)のほうがいいんじゃないのってことになって…。
引用先 女性自身
と事実婚について話しています。
私はこの事実を知り佐藤健さんが入籍の申し出を否定した気持ちを思いました。
それは大橋純子さんへの才能への期待と大きな愛情の表れだと思いました。
佐藤健さんの支えもあり大橋純子さんは、その後存分に才能を開花させました。
そして素晴らしい歌声で名曲を残してくださいました。
大橋純子に子どもはいなかった?
大橋純子さんと佐藤健さんの間に子どもがいたという公表はなく、
いなかった可能性が高いとされています。
理由は明かされていませんが、二人で選んだ人生たったのでしょうね。
大橋純子の死因は何だったのですか?死因と闘病生活について
大橋純子さんは2023年11月9日に食道がんのため逝去されました。
73歳でした。
大橋純子さんは2018年の3月に初期の食道がんと公表、活動を休止していました。
大橋純子さんは2019年に活動を再開するも3月に再発、活動を再度休止していました。
1月にビックバンドの公演が大橋純子さんにとって最後のステージになりました。
73歳で亡くなるのは若すぎますね。
大橋純子さんは闘病中もステージやレコーディングを楽しんでいたようです。
本人もまだまだ歌いたかったでしょうね。
大橋純子さんは治療とリハビリも頑張っていました。
そのため入院したのは亡くなる1週間前で亡くなる3日前に病状が悪化したそうです。
食道がんは早期発見をするのが難しい病気のようです。
2018年3月に初期の食道がんと公表された時は、治療に専念すれば復帰するのも近いと思っていたようです。
最後の最後までステージに立つことを目標に頑張った大橋純子さん。
その気持ちを思うと胸が痛みます。
大橋純子の代表曲「シルエットロマンス」がベスト3の第1位‼
大橋純子さんの数々がある曲目のなかで、
最も愛された曲は第1位「シルエットロマンス」
第2位は「たそがれマイラブ」
第3位は「愛は時を越えて」という結果か発表されています。
どの曲も素敵な曲で私としては甲乙つけがたいのです。
あえて一曲を選ぶとしたら私は「愛は時を越えて」を選びます。
バラード曲であるのもそうですが、
大橋純子さんの最後の言葉として代弁してくれているような曲だと思うからです。
曲名通り「愛は時を越えて」いつまでも私の愛は皆さんの心の中に。
そしてこの曲を聴いて下さる人の心の中で私は生き続けます。
という大橋純子さんのメッセージが伝わってくるような気がします。
この「愛は時を越えて」は実際に葬儀で事務所の同僚の松崎しげるさんが弔辞を読みました。
君は僕にとっての歌姫です。会えなくなって寂しい。たくさんの思い出をありがとう
引用先 日刊スポーツ
その後松崎しげるさんがアカペラで「愛は時を越えて」のワンフレーズを歌い上げました。
私も大橋純子さんのこの曲が大好きです。
まとめ
大橋純子さんは北海道の夕張市で生まれ
実家は大衆食堂を営んでいます。
四人兄弟の末っ子の長女として育ちました。
幼い頃から歌が好きで、よくお店のテーブルに上がって歌を披露してました。
その頃からすでに歌手への道が描かれていたのかもしれませんね。
まさにお店にとっては看板娘だったでしょうね。
大橋純子さんは「私の人生ツキかしら!人との出会いが運を連れてくる」と。
自らも話しているように、これまでの人生で様々な音楽との出会いがありました。
ヤマハ時代に出会った人達や出来事が大橋純子さんの基盤を作りました。
レコード会社のオーディションに合格してデビューに至っています。
大橋純子さんは人生の終盤に予想もしていなかった病との闘いになりました。
大橋純子さんと佐藤健さんは、婚姻届にこだわらず、深い信頼で結ばれた夫婦でした。
夫(佐藤健さん)の支えや仲間の励ましがあり最後の最後まで希望を捨てませんでした。
ステージに立つことを目標に治療とリハビリを頑張っていた大橋純子さんに称賛を送りたいです。
大橋純子さんの圧倒的な歌唱力と力強く伸びやかな歌声は
これからも人々の心に生き続け背中を押してくれることと思います。
改めて、大橋純子さんのご冥福をお祈りいたします。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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