圧倒的な歌唱力で有名な大橋純子さん今も人々に愛され歌い継がれる名曲の数々があります。
大橋純子さんは2023年11月9日に73歳で逝去されました。
この記事では大橋純子さんの夫はどんな人なのか、子供さんはいるのか。
大橋純子さんの死因についてや今も愛される代表曲の魅力について書いています。
どうぞ最後までお読みいただけたら嬉しいです。
大橋純子の夫とは事実婚だった?子供はいるの?
大橋純子さんと夫(佐藤健さん)の間には子供はいない可能性が高いようです。
大橋純子さんの私生活についてはあまり知られていませんから気になるところですね。
大橋純子さんの夫(佐藤健さん)とは事実婚でした。
そういったこともあり子供は持たなかったのかもしれませんね。
大橋純子さんの夫(佐藤健さん)は作曲家でもあり歌手としても活動されていました。
お二人の間に子供があればきっと素晴らしい歌手もしくは作曲家として活躍されていたかもしれませんね。
夫の佐藤健さんとは大橋純子さんがヤマハ音楽振興会のアルバイト先で出会いました。
大橋純子さんは2年ほど音楽留学をしてしていました。
帰国後、大橋純子さんは音楽活動を再開しようとしました。
しかし留学前に盛んだったバンドブームが去っていました。
居場所をなくしたと感じた大橋純子さんは佐藤健さんに「入籍して主婦になる」と提案しました。
しかし「逃げの入籍は良くない」と佐藤健さんに否定されたのです。
大橋純子さんはそのまま籍を入れず生活を続けたため事実婚となったようです。
大橋純子さんは雑誌のインタビューで
私も隠すつもりはなかったんですけど、レコード会社のほうで、どうせなら独身(シングル)のほうがいいんじゃないのってことになって…。
引用先 女性自身
と事実婚について話しています。
私はこの事実を知り佐藤健さんが入籍の申し出を否定した気持ちを思いました。
それは大橋純子さんへの才能への期待と大きな愛情の表れだと思いました。
佐藤健さんの支えもあり大橋純子さんは、その後存分に才能を開花させました。
そして素晴らしい歌声で名曲を残してくださいました。
大橋純子さんの死因は何だったのですか?死因と闘病生活について
大橋純子さんは2023年11月9日に食道がんのため逝去されました。
73歳でした。
大橋純子さんは2018年の3月に初期の食道がんと公表、活動を休止していました。
大橋純子さんは2019年に活動を再開するも3月に再発、活動を再度休止していました。
1月にビックバンドの公演が大橋純子さんにとって最後のステージになりました。
73歳で亡くなるのは若すぎますね。
大橋純子さんは闘病中もステージやレコーディングを楽しんでいたようです。
本人もまだまだ歌いたかったでしょうね。
大橋純子さんは治療とリハビリも頑張っていました。
そのため入院したのは亡くなる1週間前で亡くなる3日前に病状が悪化したそうです。
食道がんは早期発見をするのが難しい病気のようです。
2018年3月に初期の食道がんと公表された時は、治療に専念すれば復帰するのも近いと思っていたようです。
最後の最後までステージに立つことを目標に頑張った大橋純子さん。
その気持ちを思うと胸が痛みます。
大橋純子の代表曲「シルエットロマンス」がベスト3の第1位‼
大橋純子さんの数々がある曲目のなかで、
最も愛された曲は第1位「シルエットロマンス」
第2位は「たそがれマイラブ」
第3位は「愛は時を越えて」という結果か発表されています。
どの曲も素敵な曲で私としては甲乙つけがたいのです。
あえて一曲を選ぶとしたら私は「愛は時を越えて」を選びます。
バラード曲であるのもそうですが大橋純子さんの最後の言葉として代弁してくれているような曲だと思うからです。
曲名通り「愛は時を越えて」いつまでも私の愛は皆さんの心の中に。
そしてこの曲を聴いて下さる人の心の中で私は生き続けます。
という大橋純子さんのメッセージが伝わってくるような気がします。
この「愛は時を越えて」は実際に葬儀で事務所の同僚の松崎しげるさんが弔辞を読みました。
君は僕にとっての歌姫です。会えなくなって寂しい。たくさんの思い出をありがとう
引用先 日刊スポーツ
その後松崎しげるさんがアカペラで「愛は時を越えて」のワンフレーズを歌い上げました。
私も大橋純子さんのこの曲が大好きです。
まとめ
大橋純子さんは北海道の夕張市で生まれ実家は大衆食堂を営んでいます。
四人兄弟の末っ子の長女として育ちました。
幼い頃から歌が好きで、よくお店のテーブルに上がって歌を披露してました。
その頃からすでに歌手への道が描かれていたのかもしれませんね。
まさにお店にとっては看板娘だったでしょうね。
大橋純子さんは「私の人生ツキかしら!人との出会いが運を連れてくる」と。
自らも話しているように、これまでの人生で様々な音楽との出会いがありました。
ヤマハ時代に出会った人達や出来事が大橋純子さんの基盤を作りました。
レコード会社のオーディションに合格してデビューに至っています。
大橋純子さんは人生の終盤に予想もしていなかった病との闘いになりました。
大橋純子さんは夫(佐藤健さん)の支えや仲間の励ましがあり最後の最後まで希望を捨てませんでした。
ステージに立つことを目標に治療とリハビリを頑張っていた大橋純子さんに称賛を送りたいです。
大橋純子さんの圧倒的な歌唱力と力強く伸びやかな歌声はこれからも人々の心に生き続け背中を押してくれることと思います。
改めて、大橋純子さんのご冥福をお祈りいたします。

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