江利チエミの死因は?高倉健との馴れ初めや離婚理由、別れても消えなかった愛

歌手

昭和の名曲「テネシーワルツ」を悲しくも優しく歌い上げた江利チエミさん。

美空ひばりさん、雪村いづみさんとともに「三人娘」として一世を風靡し、多くの人々を魅了した歌手です。

しかし1982年2月13日に45歳という若さでこの世を去りました。

彼女の人生を振り返ると、どうしても胸が締めつけられます。

最愛の人だった俳優・高倉健さんとの結婚。

誰もがうらやむような幸せな新婚生活。

そして、思いもよらない出来事によって、愛する人と別れなければならなかった悲しい運命・・。

私は長年、高倉健さんのファンです。

だからこそ、お二人の結婚生活や、離婚後も続いていたと伝えられる深い絆には、特別な思いがあります。

なぜ、これほど愛し合っていた二人が別れなければならなかったのでしょうか。

そして、江利チエミさんは、どのような最期を迎えたのでしょうか。

この記事では江利チエミさんの死因、高倉健さんとの馴れ初め、新婚生活、

そして、離婚理由について、二人の歩みを振り返りながらご紹介します。

江利チエミの死因は?45歳で迎えた突然の最期

江利チエミさんが亡くなったのは、1982年2月13日。

まだ45歳でした。

脳卒中によって意識を失い、吐いたものが気道に詰まったことによる窒息とされています。

当時、江利チエミさんは風邪気味だったとも伝えられています。

亡くなる直前まで歌手として活動していた彼女の訃報は、多くの人々に衝撃を与えました。

45歳といえば、まだまだ人生の途中です。

これから先も、素晴らしい歌声を聴かせてくれたはずなのに・・・。

そう思うと、あまりにも早すぎる別れだったと感じます。

 

高倉健との思い出を語っていた江利チエミ

江利チエミさんはの人生を語るうえで、忘れられないのが高倉健さんの存在です。

二人は1971年に離婚していますが、江利チエミさんの心の中には、

いつまでも高倉健さんへの深い愛情が残っていたと伝えられています。

文春オンラインの記事では、親交のあった俳優の杉良太郎さんが、江利チエミさんについて語っています。

お酒が入ると、ノニ(江利チエミさんのあだ名)はこちらが聞いていないのに健さんとの思い出話をしてくれた

引用先 文春オンライン

高倉健さんのこだわりの強さや、気に入ったものを大切にする一面などを、楽しそうに語っていたといいます。

その様子からは、かつて愛した人への親しみや、今も変わらない思いが感じられます。

高倉健さんのコーヒー好きは有名です。

私も高倉健さんの好きな喫茶店ということで京都のイノダコーヒーに行ったことがあります。

高倉健さんが座ったとされる席に座り、

高倉健さんが好んで飲んでいたとされるコーヒーをいただきました。

愛していた人が好きだったものに触れるというのは、

こんな気持ちなのかと感慨深い思いがしました。

離婚という形で夫婦ではなくなっても、好きだった人のことを語る時、心が弾む。

江利チエミさんにとって、高倉健さんは単なる過去の夫ではなかったのかもしれません。

一緒に過ごした幸せな日々は、離婚したからといって消えてしまうものではなかったのでしょう。

私は、このエピソードを知ってから、江利チエミさんの一途な思いを感じずにはいられません。

 

江利チエミと高倉健の馴れ初めは?一目惚れから始まった恋

江利チエミさんと高倉健さんの出会いは、

1956年の映画「恐怖の空中殺人」での共演がきっかけです。

当時の江利チエミさんはすでに人気歌手として活躍していました。

一方の高倉健さんは、これからスターへと成長していく時期にありました。

そんな二人の恋は、高倉健さんからの積極的なアプローチによって進展したと伝えられています。

そして、1959年(昭和34年)にふたりは結婚しました。

当時、高倉健さんは28歳、江利チエミさんは22歳。

若い二人の結婚は、多くの人々の注目を集めました。

 

「ダーリン」と呼び合った幸せな新婚生活

江利チエミさんは高倉健さんのことを「ダーリン」と呼んでいたことで知られています。

今では寡黙で硬派なイメージが強い高倉健さんですが、

愛する妻と過ごす家庭では、また違った一面があったのかもしれません。

二人の仲睦まじい姿は、当時の人々の憧れでもありました。

私は、高倉健さんのファンとして、おふたりの結婚生活にずっと憧れを抱いてきました。

スクリーンの中では寡黙で、どこか近寄りがたいほどの存在感を放つ高倉健さん。

そんな男性が、一人の女性を愛し、結婚し、夫婦として歩んでいたのです。

想像するだけでも、素敵なことだと思いませんか。

江利チエミさんも、愛する人と家庭を築けたことに、大きな幸せを感じていたと思います。

しかし、二人の幸せな日々は、いつまでも続くわけではありませんでした。

 

子どもを授かったものの、悲しい別れを経験

1962年に江利チエミさんは妊娠しました。

ところが、妊娠高血圧症候群のため、妊娠を継続することが難しくなり、中絶を余儀なくされた、

と報じられています。

愛する人との間に授かった命。

どれほどつらい決断だったことでしょう。

その後、二人の間に子どもが生まれることはありませんでした。

夫婦にとって、子どもを授かることも、授からないことも、それぞれの人生に関わる大切な問題です。

当時の江利チエミさんの胸の内を、私たちがすべて知ることはできません。

ただ、心身ともに大きな負担を経験したことは想像できます。

さらに1970年には、自宅が火災に遭うという不幸にも見舞われました。

幸せな結婚生活の陰で、二人は様々な苦難を経験していたのです。

 

江利チエミと高倉健はなぜ離婚した?愛する夫を守るための決断

1959年(昭和34年)に結婚した二人は、それから12年後に離婚しています。

世間から理想の夫婦として見られていた二人に、いったい何があったのでしょうか。

大きな問題となったのは、江利チエミさんの異父姉をめぐる金銭トラブルでした。

江利チエミさんは、身近な人に経理などを、任せていました。

ところが異父姉が江利チエミさんの名義で多額の借金をしていたことが発覚!

被害は巨額に及び、不動産まで担保に入れられていたと伝えられています。

信頼していた身内との間で起きた問題は、江利チエミさんの生活を大きく揺るがしました。

しかも、これはお金だけの問題ではありません。

芸能人としての信頼や、夫婦の生活にも影響しかねない出来事だったのです。

愛する人と築いてきた家庭。

それを守りたくても、自分一人ではどうにもならない問題が起きてしまう。

その苦しみは、計り知れないものだったのではないでしょうか。

 

なぜ、愛する高倉健と別れなければならなかったのか

江利チエミさんは高倉健さんに迷惑をかけたくないという思いから、

離婚を決意したと伝えられています。

私は、この話を知り、やりきれない気持ちになりました。

本当に愛しているのなら、つらいときこそ一緒にいたい。

苦しいときこそ、二人で支え合いたい。

そう思うのが、夫婦というものではないでしょうか。

それなのに、江利チエミさんは、愛する人を守るために、自分から別れを選んだとされています。

好きだからこそ、離れる。

大切だからこそ、迷惑をかけたくない。

そんな決断をしなければならなかった彼女の心を思うと、胸が痛みます。

お金の問題、家族の問題、周囲から受ける影響。

人生には、愛情だけでは乗り越えられない壁が立ちはだかることもあります。

江利チエミさんは離婚後、再婚することなく、歌手として活動を続けながら借金の返済に努めました。

仕事を重ね、少しずつ生活を立て直していったと伝えられています。

愛する人との別れに加え、巨額の借金まで背負うことになった江利チエミさん。

それでも、彼女は自分の人生を投げ出すことなく、懸命に生きていたのです。

その姿には、歌手としての強さだけでなく、一人の女性としてのたくましさを感じます。

 

離婚後も高倉健の心に残り続けた江利チエミ

二人は離婚しました。

しかし、夫婦ではなくなったからとって、共に過ごした年月まで消えてしまったわけではありません。

高倉健さんは、江利チエミさんが亡くなった後も、命日に墓参りをしていたと報じられています。

また、二人の間に生まれることのなかった子どもを供養する、

水子地蔵が建立されたことも伝えられています。

こうしたエピソードを知ると、二人が過ごした時間の重みを改めて感じます。

高倉健さんは、2014年11月10日、83歳で亡くなりました。

江利チエミさんが亡くなってから、32年後のことです。

長い年月が流れても、二人が夫婦だった事実は変わりません。

そして、二人の間にあった思いを、私たちが簡単に忘れることもできないのです。

 

『鉄道員(ぽっぽや)』で流れる「テネシー・ワルツ」

高倉健さんの代表作の一つに、1999年公開の映画「鉄道員(ぽっぽや)」があります。

この映画では、高倉健さん演じる主人公が「テネシー・ワルツ」を口ずさむ場面があります。

この曲の使用を提案したのは、高倉健さんだったと伝えられています。

「テネシー・ワルツ」は、江利チエミさんを代表する名曲の一つです。

このエピソードを知ると、映画の中で流れるメロディーが、また違った意味を持って聞こえてきます。

もちろん、曲を選んだ理由のすべてを知ることはできません。

けれども、かつて愛した女性の歌声を、長い年月を経ても心にとどめていたのだとしたら・・。

そう考えるだけで、胸がいっぱいになります。

私は高倉健さんのファンとして、

お二人が一緒に過ごした時間を、これからも大切に心に刻んでおきたいと思います。

 

まとめ

江利チエミさんと高倉健さんの人生を振り返ってきました。

二人は1956年の映画共演をきっかけに出会い、1959年に結婚。

幸せな新婚生活を送る一方で、子どもを授かったものの出産を断念するという悲しい経験もしました。

そして、異父姉をめぐる金銭トラブルなどが重なり、1971年に離婚。

江利チエミさんはその後、借金の返済に努めながら歌手活動を続けました。

しかし、1982年2月13日、45歳という若さで突然この世を去りました。

一方の高倉健さんも、2024年に83歳で生涯を閉じています。

二人が離婚した理由には、さまざまな事情がありました。

だからこそ、私は思うのです。

夫婦として一緒にいられなかったことと、相手を大切に思う気持ちがなくなることは、必ずしも同じではないのだと。

江利チエミさんが高倉健さんとの思い出を語っていたこと。

高倉健さんが、亡くなった江利チエミさんの墓参りを続けていたと伝えられていること。

そして、高倉健さんの主演映画で「テネシー・ワルツ」が流れたこと。

それらのエピソードは、二人の間にあった深い絆を思い起こさせてくれます。

江利チエミさんの人生は、あまりにも波乱に満ちたものでした。

愛する人との別れ、家族をめぐる問題、そして突然の死。

もし、もっと長く生きていたら、どんな歌声を聴かせてくれたのでしょうか。

もし、二人が離婚せずに一緒に暮らし続けていたら、どんな人生が待っていたのでしょうか。

そんなことを考えずにはいられません

けれども、私たちに残されたのは、今も色褪せない歌声と、二人が確かに共に生きた時間です。

「テネシー・ワルツ」を聴くとき、江利チエミさんの歌声の裏に、

彼女が歩んだ人生や、愛した人への思いを感じることがあります。

そして、高倉健さんの姿を思い浮かべると、二人の物語が静かによみがえってくるようです。

どうか天国では、もう悲しい別れを経験することなく、二人で穏やかな時間を過ごしてほしい。

長年の高倉健さんファンである私の心からの願いです。

江利チエミさん、高倉健さん。

素晴らしい歌と演技を、そして忘れられない人生の物語をありがとうございました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

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