浅田美代子の『赤い風船』で子ども歌番組「どんぐり音楽会」でチャンピオンに

俳優

浅田美代子さんの「赤い風船」は1973年4月21日に発売されました。

浅田美代子さんといえば女優やタレントのイメージが強いですよね。

しかしデビュー当時はアイドル歌手として、とても人気がありました。

日本レコード大賞新人賞も授賞しているんですよ。

この記事では、浅田美代子さんの「赤い風船」がいかに売れたのか、

私が子どもの歌番組「どんぐり音楽会」で「赤い風船」を歌った経験を基に、

当時の番組の様子やエピソードを交えながら書いています。

最後まで楽しんで読んでいただけたら嬉しいです。

浅田美代子さんの『赤い風船』は累計売上80万枚の大ヒット曲

浅田美代子さんといえば今では映画やドラマ、タレントとして大活躍の女優さんですね。

しかし、デビュー当時はアイドル歌手として大人気でした。

彼女は東京女学館高等学校2年在学中の1972年(昭和47年)夏、街頭でスカウトされます。

デビューのきっかけは街頭でのスカウトなんですよね。

スカウトで芸能界入りした話はよく聞きます。

スカウトマンの目に留まるのは、どんなところがポイントなのでしょうね。

浅田美代子さんの場合、やはりクリッとした目が愛らしく可愛いところでしょうか。

彼女はドラマ「時間ですよ」のオーディションを受け、約25000人の中から選ばれました。

この国民的な高視聴率ドラマの劇中歌として浅田美代子さんが「赤い風船」を歌っています。

ドラマ「時間ですよ」はお風呂屋さんを舞台にしたホームドラマです。

当時は各家庭にテレビの数が少ない時代でした。

録画機能も無いためドラマが始まると家族そろってテレビの前に集まったものです。

お風呂屋さんの2階の窓辺に腰かけた浅田美代子さんが赤い風船を毎回歌います。

その姿が、何とも言えない愛らしく当時小学生だった私にとっても憧れでした。

浅田美代子さんは歌番組にも、引っ張りだこでしたよ。

「赤い風船」は1年で約50万枚を売上げオリコンの年間セール10位の大ヒット。

1973年の第15回日本レコード大賞新人賞も受賞しています。

授賞式には女優の樹木希林さんが駆けつけました。

驚きと感激で涙が溢れ歌えない彼女を優しく抱えながら一緒に歌う樹木希林さんが印象的でした。

そんな浅田美代子さんは若者たちのアイドルであり、少女の憧れ。

フリフリのワンピースを着て髪の毛をやさしくカールした髪型も流行りました。

私も子供ながらに振り付けもマネをしながら「赤い風船」を歌っていました。

 

赤い風船で「どんぐり音楽会」出場 地元の子どもたちの人気歌番組

「どんぐり音楽会」は1966年4月から1983年3月までCBCで放送されました。

視聴者参加型の音楽番組で基本的にはのど自慢大会です。

毎回東海地区在住の小学生たちが参加していたローカル番組。

歌手の野口五郎さんや石川ひとみさん、声優の三ツ矢雄二さんも出場しています。

野口五郎さんや石川ひとみさんは大人になり現在も歌手として活躍されていますよね。

当時の歌が好きな小学生としては、この地元の人気歌番組に出場するのは憧れでした。

私もその歌好きな小学生の1人でした。

私の実家が自営業をしていたこともあり、物心ついた時からいつもお店には有線放送で歌謡曲が流れていました。

毎日歌謡曲を聴いて育ったため自然に歌が大好きに。

ビールの箱を重ねて階段を作り舞台の上から歌を歌いながら降りてくる歌手のマネをしたりしていました。

そんな姿を目にしていた私の母親が勝手にどんぐり音楽会出場へ応募したのです。

応募した曲は、もちろん浅田美代子さんの大ヒット曲「赤い風船」。

番組出場前には予選会というものがあります。

私も行きました。

愛知県名古屋市にあるCBCホール会場には予選に応募した子どもたちでいっぱいでした。

予選を通過できるのは6~7組。

個人やグループが流行歌や教科書に載っているような唱歌や童謡をジャンルを問わず歌います。

3人の審査員の前で応募した曲を合図のブザーが鳴るまで歌うんですよ。

口から心臓が飛び出るのではないかと思うほどドキドキした記憶です。

前日まで練習した赤い風船の振り付けを忘れることなく歌い終えることができました。

全員が歌い終えてから審査時間が設けられ、その日に結果発表。

私は予選に通ることができました。

しかし、その時の審査員の先生から衝撃の言葉が・・・。

「どうしてこの曲を選んだの?もう少し歌の上手な人の曲を選んだ方がよかったね。」

と言われたのです。

大人になった今でも、あの時の審査員の先生の言葉と顔が忘れられません。

 

子ども歌番組「どんぐり音楽会」のゲストとチャンピオンになるまで

私は当時、10歳小学4年生でした。

今から50年(2026年3月時点)半世紀以上前の出来事です。

「どんぐり音楽会」に出場が決まってからは家族の盛り上がりが大変でした。

当時は各家庭にテレビがあるだけで十分な時代でしたからテレビに出るとなると一大事。

父親は娘の晴れ姿を記録に残そうと高価なビデオデッキを購入したのです。

しかも今では廃盤商品となった懐かしのSONYのβ(ベーター)でした。

祖父は手書きの大弾幕を作ってくれました。

本番当日、収録時間までの間にリハーサルがあります。

どういう順番で歌うのか等の説明を受け、本番さながらにスタンドマイクの前に立ち歌います。

とにかく照明がまぶしくて会場の様子が舞台からはほとんどわかりませんでした。

私はこの時初めてスタンドマイクというものを見ました。

リハーサルでスタンドマイクばかりを見て歌っていた私は係の方から

「その歌い方だと寄り目になってしまうから、もっと遠くを見て歌ってね」

と注意される始末。

他の出場者の選曲は「線路は続くよどこまでも」「みかんの花咲く丘」「花火」といった感じです。

3人の審査員がそれぞれ10点ずつ持っていて最高得点が30点でした。

今のようにデジタルも発達していない時代です。

得点が出る時は得点板の後ろに人が隠れていました。

得点が決まるとベニヤ板に書かれた得点を音楽に合わせてどんぐり坊やのイラストの前に落とす。

という何とも原始的な方法でした。

そんなこんなでしたがゲストは『学園天国』で大ヒットした『フィンガー5』。

昭和世代にはたまらない、アイドルグループのフィンガー5!なんですよ。

ボーカルの晃さんは現在64歳(2026年3月時点)私より2歳年上。

私と年齢が変わらないアイドルが目の前に現れただけで失神しそうでした。

とにかくオーラが凄くてキラキラしていました。

『学園天国』は小泉今日子さんがカバーして有名になりましたよね。

その元祖『学園天国』を生で聞けたことは生涯の思い出です。

番組の最後に今週のチャンピオンの発表!!

「感情が一番こもっていた」という評価を頂き私はチャンピオンになれました。

お土産にはチャンピオンのトロフィーの他

毎回のキャッチフレーズ、地元でお馴染みの名古屋名物「納屋橋まんじゅう」

ハワイの飲み物グアバを頂きました。

そう、当時ハワイといえば世界一の保養地というイメージ。

このグアバこそが、どんなものでどんな味がするのか子どもにとっては興味深々でした。

浅田美代子さんの「赤い風船」を子どもの歌番組「どんぐり音楽会」で歌ったこと。

チャンピオンになったことで周りの人たちから向けられる目線が全く違うと感じた出来事でした。

自己肯定感が低く、いつも教室の隅で先生に見つからないように授業中は下を向いていた私。

それまで劣等感のかたまりだったような私の人生が、その出来事をきっかけに変化していきました。

「テレビに出た」というだけで地元では一躍有名になりました。

実家が自営業をしていることもあり、お店に来るお客さんからも「テレビに出たのはこの子?」

と、かなり大きくなるまで言われ続けました。

歌や音楽が、これまで以上に好きになったのも事実です。

「赤い風船」が私に自信と勇気をくれました。

浅田美代子さんの「赤い風船」は、私にとって生涯忘れることのない大切な曲です。

今はベテラン女優として活躍している浅田美代子さん

彼女の活躍を楽しみにこれからも応援しています。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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