久保田早紀の若い頃は将来が見えず彷徨い歩く『異邦人』?

シンガーソングライター

久保田早紀さんといえば「異邦人」が有名ですね。

そんな久保田早紀さんの若い頃はどんな生活だったのでしょうか?調べてみました。

久保田早紀の若い頃はどんな生活をしてたの?

久保田早紀さんは、現在67歳(2026年1月)です。

そもそも若い頃とは何歳のことを指すのでしょうかね。

この記事を読んでくださっている方の年齢にもよるとはおもいますが、久保田早紀さんの年齢からすると20代前後でしょうか?

久保田早紀さんが大ヒット曲「異邦人」でデビューした時は久保田早紀さんは21歳ですから、久保田早紀さんの若い頃ということで、デビューする前後の様子を調べてみました。

久保田早紀さんはデビュー前から曲作りはしていましたが中学校の文化祭以来、人に聴かせたことがなかったので自分の曲を誰かに聴いてもらいたいという思いがありました。

久保田早紀さんが短大1年生の時に、久保田早紀さんの母が持ってきた新聞の切り抜きに書かれた”自作自演も可”の一文字に惹きつけられて『ミス・セブンティーン・コンテスト』に応募しました。

この時の保田早紀さんはコンテストの名称も知らず、タレントになりたいわけではありませんせんでした。

久保田早紀さんは人前で歌う勇気がなかったことから、自分の歌を録音したテープを送って応募しました。

『ミス・セブンティーン・コンテスト』は主にアイドル対象のオーディションですよね。

そこに思わぬ久保田早紀さんの勘違いから、運命が開けていくことになります。

久保田早紀さんは一次審査に合格し二次審査へ、しかし二次審査は水着審査でした。

久保田早紀さんは水着審査を固辞し、そのかわりとして東京のCBSソニースタジオで弾き語りを披露することになりました。

水着審査を固辞した時点で不合格となるのが正当だと思いますが、そうならなかったのは、やはり久保田早紀さんに何かしら光るものがあったのでしょうね。

久保田早紀さんは、そこでディレクターの金子文枝さんと出会いました。

久保田早紀さんはその出会いから、デビューを目指して実家のある八王子から短大とCBSソニーに通うことになりました。

 

久保田早紀の『異邦人』誕生

久保田早紀さんは、その頃中央線に乗って通う中で詞や曲を考えることが多くありました。

作詞家や作曲家の人は、歌詞や音楽が降りてくると表現する人がいますが、こうした日常の何気ない時間も曲作りには大切なのかもしれませんね。

久保田早紀さんはある日、中央線で自宅に帰る途中に車窓からの夕景に心が動かされました。

ドラえもんに出てくる土管があるような空き地が、まだたくさんあった時代です。

そこで子供たちが楽しそうに遊んでいました。

夕焼けも美しくて、そこから生まれた「白い朝」というタイトルの曲が、その後『異邦人』になりました。

あのノスタルジックな異邦人は、そんなのどかな夕景を見た様子から生まれたのですね。

後に大ヒット曲となる曲の誕生でしたが、久保田早紀さんとしては〝イマイチかなぁ”という自己採点だったそうです。

その頃の久保田早紀さんは将来のことを思い悩み、短大2年生の夏休みをもどかしく過ごしていた時期でした。

 

久保田早紀『異邦人』でまさかのデビュー

久保田早紀さんとしては”イマイチかなぁ”と自己採点していた曲が、CBSソニーのCMのタイアップソングとして白羽の矢が立ちました。

商品は三洋電機の大型テレビ、原曲はフォークソングテイストでしたが、手直しをすればエキゾチックな映像にハマりそうと評価されました。

自分の自己採点が低くても、どこで人の心を惹きつけるかわかりませんね。

当初は、この曲を誰が歌うか決まっていませんでした。

久保田早紀さんとしては、自分が作曲した曲を使ってもらえるだけでありがたいことだと思っていました。

久保田早紀さんは自分の曲をプロの方に歌ってもらえるなんて有り得ないし、それが実現するなら嬉しいことだと思っていました。

ところが最終的に久保田早紀さん本人が歌うことになったのです。

人前で歌うことが苦手といって、コンテストにも自分の歌をテープで送っていたような久保田早紀さんですから、自分が歌うことになるとは、かなり驚かれたでしょうね。

実際に歌入れは一晩で100回直されて”『異邦人』テイク100”と有名になりました。

と久保田早紀さんも当時を思い出して苦笑しながら話しています。

こうして久保田早紀さんは1979年3月に短大を卒業し、10月にデビューしました。

 

久保田早紀デビュー後の不安と違和感

久保田早紀さんは芸能界に入りたくてたまらなかったわけではなく、元々の性格も裏方気質です。

中学校の三年生の文化祭も男子メンバーの脇で目立たないから出られたというタイプです。

久保田早紀さんは『異邦人』が大ヒットした喜びよりも、増していった感情は不安ばかりでした。

芸能界は久保田早紀さんの性格からは想像できないような華やかな世界ですから、戸惑いは大きかったと思います。

久保田早紀さんはデビューと共に売れたことを人からどう言われるかという不安がありました。

久保田早紀さんは自分が好きなミュージシャンの人たちは、苦節何年という苦労があってのカッコよさがあるのだから、今の自分の状態ではダメだと悩んでいました。

久保田早紀さんの『異邦人』がヒットした時は音楽番組が花盛りの時代でしたから、そのギャップは大きかったでしようね。

久保田早紀さんはブラウン管越しに見ていたスター達と共演し、優しく話しかけられても居心地の悪さは消えなかったと言います。

久保田早紀さんはツアーで全国を回っても自信が持てませんでした。

そんな不安と違和感を感じる中で、久保田早紀さんは自分の音楽の原点とは何かを考えるようになりました。

そこで思い出したのが、幼少期に通っていた教会の存在です。

久保田早紀さんは幼少期に家の近くにあった教会に行って讃美歌を歌うのが好きでした。

久しぶりに教会に行った久保田早紀さんは、婦人聖歌隊の讃美歌を聴いて深い感動を覚えました。

久保田早紀さんはその後、その頃にお付き合いしていたザ・スクエアというバンドでキーボードを担当していた久米大作さんと結婚しました。

そして久保田早紀さんは、結婚を機に芸能界から電撃引退をしています。

 

久保田早紀さんのその後についての活動や、久保田早紀さんの家族についての記事も書いています、よろしければ合わせて読んでみてくださいね。

 

 

 

 

 

 

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