演歌歌手として多くの人の心を癒してきた市川由紀乃さん。
その優しくも力強い歌声の裏には、長年支え続けてきた“家族への深い愛”がありました。
特に、脳性麻痺と知的障害を抱えていた兄・浩司さんの存在は、
由紀乃さんの人生そのものを支える大きな光でした。
芸能界では、家族の事情を隠したがる人も少なくありません。
それでも市川由紀乃さんは、兄の存在を隠すどころか「兄がいたから頑張れた」と語っています。
そこには、言葉では語りつくせないほどの兄妹の絆がありました。
この記事では、そんな市川由紀乃さんの兄についてや、家族の絆について書いています。
最後までお読みいただけたら嬉しいです。
障害を抱えながら生きた兄・浩司さんの存在
市川由紀乃さんの兄・浩司さんは、生まれつき脳性麻痺と知的障害を抱えていました。
7歳年上の兄は、日常生活でも家族の支えが必要な場面が多く、
幼い頃から家族みんなで支え合いながら生活してきました。
そして、由紀乃さんが中学生の頃、両親が離婚。
家庭環境は大きく変わり、母親は家計を支えるため必死に働きに出るようになりました。
障害のある子供と、幼い子供を抱えながら働く。
今の時代のように子育て支援など当時はありませんから、
どうやって日々を過ごしていたのでしょう。
子供を家において働きに出る母親の気持ちを思うと胸が苦しくなります。
実際に幼かった由紀乃さんは、自然と兄の面倒を見るようになります。
本来なら、友達と遊びたい年頃ですよね。
自由に青春を楽しみたい時期もあったと思います。
けれど由紀乃さんは、自分のことよりも家族を優先して生きてきました。
兄の食事を手伝い、身の回りの世話をして母親を支える。
まだ少女だった由紀乃さんにとって、そんな毎日は決して楽なものではなかったと思います。
しかし、彼女はその環境を不幸だとは語りません。
むしろ後に、「兄がいたから優しくなれた」「家族の大切さが知れた」と話しています。
こんな風に自分の存在を肯定してくれる家族のもとで暮らせた兄・浩司さんは幸せでしたね。
人は時に、苦労によって心を育てられるとはいいますが、とはいうものの
傍から見たら不幸ではないかと思われがちな、兄の存在を優しく受け入れることができる
由紀乃さんの懐の広さに、私はとても感心しました。
由紀乃さんの歌声にある、あの包み込むような温かさ。
それは、幼い頃から家族を想い、誰かのために生きてきた人生そのものなのかもしれませんね。
一度は歌手を諦めた由紀乃さんを支えた兄
市川由紀乃さんは、1993年にデビューし、若手演歌歌手として期待されていました。
しかし、思うように結果が出ず長い下積み生活が続きます。
焦りもあり「もっと上手く歌いたい、こんな歌唱力じゃダメだ」と自分を追い込んでしまっていた。
引用先 CHANTOweb
そして2001年、由紀乃さんは、一度芸能界を離れる決断をしました。
歌手になる夢を抱いて必死に走ってきた彼女にとって、この挫折はどれほど苦しかったでしょう。
周囲から期待されながら結果を出せない苦しみ。
頑張っても報われない現実。
由紀乃さんはその後、天ぷら店などでアルバイトをしながら生活をしていました。
華やかなステージから離れ、一般の生活へ。
演歌歌手・市川由紀乃ではなく”普通の女性”として過ごす日々。
そんな彼女の心を、再び歌の世界へ向かわせたのが兄・浩司さんだったのです。
脳性麻痺の兄は知的障害もあったため、由紀乃さんが歌手を辞めたことも理解できなかった。
「なんで歌えないの?なんで?なんで?」と言いながら自分の頭をバンバン叩くことも。
妹は歌手であってほしい歌手の妹が見たい、という兄の姿に歌手に戻ろうと決意することができた。
引用先 CHANTOweb
兄は、妹がテレビにも出演することを本当に喜んでいました。
由紀乃さんが歌う姿を見ることが、兄の浩司さんにとって生きがいだったのでしょう。
「もう一度歌ってほしい」その想いを感じた時、
由紀乃さんの中で消えかけていた夢の炎が、再び燃え始めたのですね。
誰かのために歌いたい、兄の笑顔が観たい。
そんな純粋な気持ちが、由紀乃さんを再起へと導きました。
夢は、自分のためだけでは続けられない時があります。
“大切な誰かのため”なら頑張れる!ってことありますよね。
由紀乃さんにとって、まさに兄の存在がそうであり、
人生を支える心の柱なのだと思います。
兄の突然の死・・・深い悲しみの中で決意したこと
2008年 兄・浩司さんが39歳という若さで急逝。
その時、由紀乃さんは仕事で名古屋にいました。
突然届いた知らせ、頭が真っ白になったことでしょう。
急いで実家に向かった由紀乃さんですが、もう二度と兄と言葉を交わすことはできませんでした。
昨日までいた人が、突然いなくなる、もう笑顔を見ることも声を聴くことも出来ないなんて。
もっと話したかった、もっと一緒にいたかった。
きっと、そんな想いが胸の中に溢れたことでしょう。
大切な人との別れは、残酷ですね。
兄の浩司さんは、ずっと由紀乃さんを応援し続けてくれました。
だからこそ兄の死は彼女にとって言いようのない深い悲しみだったと思います。
しかし由紀乃さんは、その悲しみの中で、ある決意をします。
兄の死を受け入れられず、泣き崩れている母親の姿を見た時
いつも明るい母が、そんなに泣く姿を見たのが初めてだったし、やはり我が子がさきに旅立つおやの悲しみは、計り知れないとおもいました。
引用先 CHANTOweb
兄を失い、深い悲しみを抱えた母。
「今度は自分が母を支えよう」由紀乃さんは、そう決心しました。
人は悲しみを経験した時、本当の強さを試されるのかもしれません。
由紀乃さんは、歌うことをやめませんでした。
なぜなら、それは亡くなった兄との絆であり、兄との約束そのものだからです。
家族への愛が、市川由紀乃の歌を輝かせている
市川由紀乃さんの歌には、不思議なほど人の心を包み込む温かさがあります。
それは単なる歌唱力だけではありません。
苦しみを知り、悲しみを知り、それでも人を愛して生きてきた人生だからこそ出せる声。
障害を抱えた兄と共に歩んだ人生。
母を支え続けた人生。
夢を諦めかけた過去。
そして最愛の兄との別れ。
そのすべてが、今の由紀乃さんを作っています。
彼女はきっと“誰かを想うこと”の尊さを、人生を通して学んできたことでしょう。
だからこそ、多くの人が彼女の歌に涙するのだと思います。
今も由紀乃さんは、兄への想いを胸にうたい続けています。
もし兄・浩司さんが天国から見ているなら、
きっと誇らしい気持ちで妹の姿を見守っているのではないでしょうか。
人生には、言葉では説明できないほど深い絆があります。
市川由紀乃さんと兄・浩司さんとの絆はまさに深くて尊い。
それは、人を想う優しさとはなにか、支え合って生きることの大切な意味を
私たちに教えてくれている気がします。
市川由紀乃さんのこれからの活躍と幸せをお祈りしています。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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